●ごあいさつ
これは“遺言書”であり、モノをとおして語る“個人史”でもあります。当然に、想定読者はわが子をはじめ近親者だけ。他人様には無意味な記事ゆえ、たまたま眼にして読んでくださる方があれば恐縮至極のしろものです。
それを承知で無意味な作業を始めたのは「オレも年ごろ」という自覚と、家族に対して寡黙にすぎた反省からで、この場を借りて「父さんだってしゃべるんだ!」という変身を試みようとしたわけです。 ★リンクしています 江戸川土手を歩く 相続アドバイザー/三商 でんでんむしの個人史のすすめ カテゴリ
◆ はじめに■ 相続遺産 ◎ 身辺愛用品 ★ 抽出しの底 ● 書籍・CD ▼ 忘れ物など 以前の記事
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■魂の居場所
一月某日、朝七時。土手からの帰り道。野田街道を渡るところで、気になる三人連れと出会った。中年の男女と若い男性で、花束を抱えている。お彼岸どきではなし、近くに寺もない。しかも駅とは逆方向に向かうようすがいかにも「??」。見ていると電柱の脇にくくりつけられた花を取り替え始めた。
そこは二年ほど前、ふたりの子を連れた母親が事故に遭遇、就学前の子が亡くなった場所で、以来欠かさず花やジュースが供えられている。見知らぬ人ながら親としてまた幼い孫を持つ身として、通りがかるたびにその悲劇を思いやっていた。 ──もしもわが身辺の災難であったなら、ひ弱な自分はつぶれてしまっただろう。若い母親には早く立ち直ってほしい。難を免れた妹(弟?)のケアや夫婦のやりとりを思えば胸ふさがる思いがするが、亡くなった子のためにもなんとか克服してほしい──と。 この供花は一年過ぎてもつづいていた。それだけ哀しみが深く、心の傷は癒えることがないのだろう──そう思う気持ちとは裏腹に偏狭で不信心な考えも沸いてくる。 人通りの多い場所だから目障りだ。公道の私的使用だ。第一、霊魂など存在しないのだし、亡くなった子の魂がいつまでもこの辺にあるはずがないのだから。 それでも気の毒に思うし、二年ものあいだよく続けましたねと三人連れに話しかけた。ところが、こちらが涙ぐむ始末なのにどうも話がかみ合わない。やがて彼らは親族ではなく、事故を起こした会社の人々とわかり、私の独り合点は一変する。 社長なる人物が語るには ──うちの運転手がやりましてね……二十五日が命日なので月一度……なに、造花なんですよ。 これはまた奇特なと、あらためて見れば社長夫妻と息子(あるいは運転手)か。被害者の身内だけでなく、この人たちもまた重い日々を生きている! 私はこうして仮設墓所に詣でる気持ちに頭が下がると同時に、路傍の供花の背後にあるさまざまな哀しみと苦悩に思いを馳せたのだが……。 そもそも私は自我の強い偏屈人間で、宗教や僧侶・神職ぎらいで通してきた不信心モノなのだ。神仏や霊魂の存在など認めないから神社参りもしない。その点、安倍総理とは違うわけだ。お役目柄、菩提寺の住職とは一応のつき合いはするけれど、墓参りに行きながら掃除をした後で手を合わせることを失念して帰ったことが何度もある。 風を愉しむ だから「♪♪お墓の下に眠ってなんかいません」という歌が流行ったときは(当然!)とうそぶいたものだが、といっても死者の魂が風になったり星になったりというご都合主義に賛同するわけでもない。だからといってまったく罰当たりの無神論者ではなく、自分なりの神というか信仰心らしきものはある。 それは小学二年のときに亡くなった父がいつもどこからか見ていてくれるという思いで、父よりもずっと年長になった今日でも変わらない。トシをとるにつれて父が見ていてくれるその場所が、しだいにハッキリしてきた。それは私の頭上の斜め前、時計でいえば二時の方向で、時に応じて数メートルの空間である。長い人生をあまり踏み外しもせずやってこれたのは、父のその眼差しのおかげだと思っている。 ★皆さま ごぶさたしています。変わりなくご活躍のことと思います。というような次第で、土手を歩きながらまとめた短歌二種をご披露いたします。 路傍には 二年経てなほ 花と菓子 見知らぬ親の 痛哭思ほゆ その場所に 二年経てなほ 花菓子あり 轢かれし幼児の 魂は何処 #
by dotenoueno-okura
| 2014-02-18 04:20
| ▼ 忘れ物など
12年歳末
●未亡人は輝く?
こんな落語がある。 ──女の人が一番綺麗に見えるのは、婿はんが死んだときの喪服姿やちゅう。後家はんといぅのはまたそぉいぅ色気があってぇ「後家はんてえぇなぁ、うちのカカアも早よ後家はんにしたい」てな、アホなこと考えるやつがあったりする。 (色っぽいねえ)と見るのは男の下心ゆえだろう。だがミステリーなどに登場する「喪服の女」に、何やら特別の雰囲気が漂うのも事実である。 永六輔のおしゃべりの定番ネタにもある。 ──妻に先立たれた男は、落魄して間もなくあとを追うけれど、反対に、残された女性はそれから元気に輝いていく。平均的には、やもめ男性の余命はせいぜい5年。女性のほうは20年! (正確な引用ではなく主旨です) ●「どちらが先」考 笑っている場合でない。身近にいろいろなケースを見聞きするトシになると、ふと考える。で、茶飲み話にこんな問いかけをしたとする。 ──なあ、あんたとオレと、どっちが先がいいかねえ。 けっこう“究極の難問”だ。うっかり「オレはあとのほうがいい」といえば「おまえ早く死ねよ」と聞こえるかしれない。「オレが先のほうがいい」といえば「あんたとはもううんざりだ」と勘ぐられるかも。はたして妻がどう答えるか、怖ろしいから訊かないが、いずれにしても紛糾しやすい微妙なモンダイにはちがいない。 ・妻が先なら……そりゃあ辛いだろう(ホント)し、悔いも残るだろう。だが、子に先立たれる耐え難さほどではなかろう。それに、なんたって夫こそ最良最強の庇護者なんだから、先立つ妻に最後まで手をつくし、子らを煩わせることなくあとの始末までできる。それが役割というもんだろう。 ・自分が先なら……妻子にめんどうをかけるのはしのびないが、誰よりも妻に看取ってもらうのはいいことだ。子どもらにとってもこのほうが受け入れやすかろう。いなくなって初めてオレの良さありがたさがわかった妻子が、オレのことを偲び懐かしむさま、喪服姿の妻のようすなど(霊魂となって宙から)見るのもわるくない。 妻が参加している同人歌誌を覗くたびに、老老介護や亡き夫をしのぶ歌の多さに気づく。ならば早いとこ死んで、女房に秀歌の材料を提供するのも優しさかも。 ●遺産が増えた! といいたいところだが、正確には形見分けの遺品が増えたということだ。そもそもこのトシで資産が増えるわけがないし、身辺整理を心がけているから物品も減る一方だ。そんななかでふえた物がいくつかあるので、すでに書いた形見分け品目に加えて記しておく。 ・Macパソコン G4Cube このパソコンには執着があって、その後40台に増えた。といっても実態はジャンク品に近いものが多い。それでも、加速変化する業界にあってOS9とそれを使える機種としてこの古いパソコンには根強いファンがいる。Mac派でもCubeマニアでもない人には粗大ゴミに等しいだろうが、パソコン史上に残る名機ゆえ一台ずつは持っていてほしい。 ・パイプ 近年“依存症”と自覚するほどのヘビーユーザーであったため、以前に記したパイプの多くを使いつぶしてしまった。それで新たに20本ほど買い集めた。コレクションではなく実用本位なので名品はないが、いずれもまあまあの品物だ。未使用のものが多いから飾り物にでもどうか。 ・『山本周五郎全集』 会社勤めをやめて以来、本を読むのが一番いい時間という暮らしをしてきた。書庫に積んでおいたものはもちろん、図書館の本も読みたいものは読んでしまった。そして今なお座右に置いてくり返し読みたいのが山本周五郎なんだ。登場人物がみな美しく潔い。会ってみたいと思うほど魅力的だから、何遍読んでもいい 気分になれる。 たまたまオークションで目について、迷わず買ったのが『山本周五郎全集』(30巻/新潮社)。どういう経緯のものか新品で、しみひとつないページをくると至福の時間になる。私はこれを「老後の愉しみ」としてくり返し読むだろうが、わが子の誰かに受けついでもらいたいと願っている。 ●一番の財産 ──お父様が守ってくれている。うちには何にもないけど、子供達が多いのが財産だ。 これは、戦後の困難な時代に8人の子を育ててくれた母の口ぐせのひとつである。わが家は戦後間もなく母子家庭となった。食べ盛りの子どもらを見ては、こうでも思わないと気持が折れてしまっただろう。 高度経済成長といわれる時期に、健康で働き続けた私は事情がちがう。けれどもその“結果”がさびしいから、ひそかに同じことを考える。 ──ひとり一億円として……四億だあ。 当節は一人っ子や二人止まりが多い。そういう家庭では菓子は一人占め、玩具から個室までそれぞれ行き渡る。いずれ親が亡くなれば遺産もそっくり受けつぐだろう。 一本のバナナを、糸で五つにも六つにも切って分け合う。私はそういう家庭に育ち、何かにつけ“きょうだい”の多さに支えられてきた。今どきには多い四人の子持ちとなったのも、そういう意識が働いたのだろう。 そんなわけでわが家の場合、遺産相続は四等分となる。どうか「まるごと」でないことを嘆かないでほしい。分かちあう「仲間が三人もいる」と思ってくれたらうれしい。 #
by dotenoueno-okura
| 2012-12-30 10:11
| ▼ 忘れ物など
●11年歳末
■大震災をへて
3月11日、東日本大震災! その衝撃と惨状は万人に多くのことを考えさせ、人生観からライフスタイルにいたるまで問い直しと変換を迫った。半ばジョークのつもりでやってきたこのブログも「襟を正して」見直さねばならぬような気持でいる。 おびただしい生命と財産が一瞬にして失われ、生きのびた人も肉親・故郷・住居・仕事・健康など生活の基盤となるすべてが危うくなってしまった。当面する生命の危機を脱しても、避難生活が長引くうちに「遺産相続」の問題が生じる。しかし、大津波に根こそぎさらわれてしまった人、家、会社、役所……相続者の死亡、死亡時刻推定の困難、相続財産自体の滅失、書類がない、自己証明できない……想定外のケースが多いうえに案件が膨大、加えて対応する機能が不全。この事態に政府が超法規的臨時措置を講じたのは当然ながら、弁護士・司法書士ら専門家のボランティア活動は時宜を得ていた。 「せめてお位牌だけでも」と瓦礫の中をさまよう人、泥水にまみれた写真を修復するボランティア、廃墟に生きのびた樹木や花をつけた草花……およそ資産価値のないこれらが、被災者にとってはかけがえのないモノであるという事実。茫然自失、どうしていいかわからない、これからどうやって生きたらいいのか……その心の拠り所を思えば、本当に大切なものは何かを考えさせられる。 私は『何をたよりに生きようか』(邱永漢著/日本経済新聞社)という本を思い出した。40年も前のその当時、経済評論家は「資産三分法」を勧め、不動産こそ最も頼りになると教えたものだ。それが、津波にさらわれ、水面下に没し、液状化でくずれ……すなはち「不動」ではなかった。 原発事故への対応策も見えぬうち、5月にウサマ・ビンラディン、10月にはカダフィ大佐、そして先日には金正日が死去した。次元の違う話ではあるが、相次ぐ国家や大企業の破綻などを考えあわせると、富や権力また科学技術のはかなさに無常観を覚える。 リタイアして10年、世間とは没交渉の隠遁生活を続けている私が、今年は二度も旅に出た。 ひとつは仙台行き。被災地の復興支援には役立たないまでも、自分の目で実情を見ておきたかった。震災以来、江戸川沿いの民家にも見られた「屋根にブルーシート」の数は、列車が宇都宮・那須・福島と仙台に近づくにつれて顕著に多くなっていた。仙台の海寄りは土台だけの住宅跡、生々しく残る津波の痕跡、波打つ道路など広域にわたってのっぺらぼう。町そのものが消えてしまった驚きの光景が続いていた。 もうひとつはイタリアツアーで、主要都市を駆けめぐってきた。円高・ユーロ安はありがたかったが、革製品もガラス器もカメオも買わなかった。そろそろ身辺整理の段階と自覚しているから、いたずらに形見分けの品物をふやすまいと出かける前から決めていたのだ。それはともかく、飛行機でもホテルでも緊張・不安・不眠がないことから、震災以来続いている「恐怖の正体」に気づいた。すなはち、当初の恐怖も余震への過敏さも決して「生命や身の安全」からくるものではなく、恐れたのは「住居へのダメージ」だということ。たとえ家の崩壊や地盤の液状化がなくても、壁や屋根がこわれても大きな出費は避けられず、それは唯一の相続資産である不動産価値の減少になる。命よりも家が大事というのも情けないが、それが率直な心情なのだ。 しょせんささやかなものであり、そんな親の生き方と気持ちを君たちがどう受け取るかわからない。で、相続アドバイザー「三商レポート」(左記にリンク先)で見つけた次の言葉を贈りたい。これは相続の修羅場を数多く見てきた人ならではの真理だと思うから。 ──奪い合えば足りなくなるが、分け合えば不便ではあっても足りる──それが「分かち合う心の豊かさ」です。 #
by dotenoueno-okura
| 2011-12-30 14:26
| ▼ 忘れ物など
▼書替思案
海外ミステリーなどを読むと、遺言書というのは案外こまめ
に書き換えられるものらしい。資産の増減や相続人の死、また 人間関係や愛情など様々な事情の変化に伴って書き直しの必要 が生じるわけで、殺人事件はきまってその微妙なタイミングで 起こることになっている──では、自分の場合はどうか。 このブログを始めたのは2年前で、最後の投稿からでも1年 経っている。その間、金融資産については減りこそすれ、増え てはいない。隠居ライフだから当然で、形見分けを考え直すほ どのモノも加わっていない。またこの間に離婚も再婚もしてい ないし、子どもが生まれた事実もない。したがって遺言内容を 書き換える必要もないのだが、当節では「毎年正月に遺言書を 書き改める」という有名人やそれを勧める専門家もいる。で、 もう一度内容を見直して、頭がハッキリしているうちに意志に 変更がないことを述べておこうと思った。しかし、それだけで は一項目が成り立たない。以下は思案の末にひねり出した苦肉 の話材である。 実はただ一つ例外的に増えたものがある。MacG4Cubeがそ れで、当時の三倍増の31台となっている。10年も前のパソコ ンをこんなに多数所有すること自体ナンセンスであり、何年か 後にはまとめて粗大ゴミと化すリスクと背中合わせとはわかっ ている。けれどもこのマシンに惚れ込んでいるから、欲しい気 持ちに際限がない。使っているのは6台だから、あとはみな押 入コレクションとなっているが。 中には2000円前後で入手した「わけあり」や「ジャンク 品」も多く、どうにもならない不良品をつかんだこともある。 それを「分解・部品取り用」にして、数台を部品交換・調整、 すべて使える状態に再生してあるのが自慢だ。 もう一つ思いついたのが終末医療に臨む考え方だ。延命治療 と臓器提供について自分の意志を明らかにしておくことは、現 代遺言事情においては軽視できない要件の一つといえるから。 尊厳死を……というほど積極的な意味はないが、延命治療は 望まない。ささやかな生涯ながら「お役目」を果たした気分で いるし、むりに永らえてでもやりたいと思うほどのこともな い。自分なりに納得しているんだ。 また、ありがたいことに私は健康に恵まれている。病気らし い病気をしたことがなく、病院や医者には無縁でやってこられ た。自慢にはならないが、この10年ほどは健康診断も受けて いない。食糧難の時代に母子家庭で育ったのに、母の献身と受 け継いだDNAのおかげで健康優良児として表彰されたこともあ る。1940年産というビンテージ物ではあるが、したがってわ が臓器が機能はともかく丈夫であることは間違いない──と考 え、他人様に役立つこともなかった人生を振り返れば、せめて 「部品提供で」と思わぬでもない。もしも家族の誰かに必要な 状況が生じたなら、ためらうことなく提供する意志はある。し かし、率直な気持ちをいえば、私は献体についても希望しな い。 では、あとのことはよろしくたのむ。 ★当ブログを覗いてくださる方に訪問を謝し、更新なしとい う日頃の無愛想をお詫びいたします。一年間、掲げっぱなしに してきた画像の枯れ木に、みごとな柿の実が生った(12月初 旬)ので差し替えました。では皆様、よい年をお迎えくださ い。 #
by dotenoueno-okura
| 2010-12-30 13:34
▼白鳥の歌
うむ、忘れていた。墓がある。たいした墓が、それも二か所に……。とはいえ墓は取得するにも維持するにも多大なコストがかかるのに、売却・譲渡することはできない。税法上、相続資産とは認められない、やっかいな遺産なのだ。
私は宗教嫌いだから、その行事や寺とのつき合いは煩わしいばかりだった。それでも役回り上、また永年の由緒あるものを自分の代で途絶えさせるわけにもいかないとの思いから最低限のことはやってきた。それを君たちに受け継いでもらわねばならない。 さてと、視聴率低迷だったこのブログも今回でお終いだ。遺言書などというものは遺産や形見分けにあずかる当事者以外には関心がなく、あるとすれば弁護士や殺人課の刑事くらいということは推理小説を読めばわかるように、訪問者が少ないのも当然。それを幸いに、五ヶ条も書けばすんでしまうことを1年がかりで書いてきた。 ああ、せいせいした。十分におしゃべりして、もう言い残したことはない。これでいつお迎えが来ても安心だ。 それではいよいよ辞世の歌を、と思っても私には作歌の心得がない。だから好きな山上憶良の歌に代弁してもらう。 しろがね(銀)もくがね(金)も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも(万葉集) とまあ、気取ることもないか。20年ほど前の日航機墜落事故。あの極限状況にあって乗客たちが走り書きした言葉には直截で無限の真実が込められていた。それに倣っていえば、私の訣別の辞は簡単だ。 ──きょうだい仲よく、母さんを大切に。みんな、ごめんね。それから、ありがとう。 しょうもないブログにおつき合いくださり、ありがとうございました。それでは皆さま、よいお年を──。 #
by dotenoueno-okura
| 2009-12-31 10:32
| ▼ 忘れ物など
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