父さんだってしゃべるんだ!
by dotenoueno-okura
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
  ●ごあいさつ
 これは“遺言書”であり、モノをとおして語る“個人史”でもあります。当然に、想定読者はわが子をはじめ近親者だけ。他人様には無意味な記事ゆえ、たまたま眼にして読んでくださる方があれば恐縮至極のしろものです。
 それを承知で無意味な作業を始めたのは「オレも年ごろ」という自覚と、家族に対して寡黙にすぎた反省からで、この場を借りて「父さんだってしゃべるんだ!」という変身を試みようとしたわけです。

 ★リンクしています

江戸川土手を歩く
相続アドバイザー/三商
でんでんむしの個人史のすすめ
カテゴリ
◆ はじめに
■ 相続遺産
◎ 身辺愛用品
★ 抽出しの底
● 書籍・CD
▼ 忘れ物など
以前の記事
2014年 02月
2012年 12月
2011年 12月
2010年 12月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


■魂の居場所

  一月某日、朝七時。土手からの帰り道。野田街道を渡るところで、気になる三人連れと出会った。中年の男女と若い男性で、花束を抱えている。お彼岸どきではなし、近くに寺もない。しかも駅とは逆方向に向かうようすがいかにも「??」。見ていると電柱の脇にくくりつけられた花を取り替え始めた。
 そこは二年ほど前、ふたりの子を連れた母親が事故に遭遇、就学前の子が亡くなった場所で、以来欠かさず花やジュースが供えられている。見知らぬ人ながら親としてまた幼い孫を持つ身として、通りがかるたびにその悲劇を思いやっていた。
 ──もしもわが身辺の災難であったなら、ひ弱な自分はつぶれてしまっただろう。若い母親には早く立ち直ってほしい。難を免れた妹(弟?)のケアや夫婦のやりとりを思えば胸ふさがる思いがするが、亡くなった子のためにもなんとか克服してほしい──と。

 この供花は一年過ぎてもつづいていた。それだけ哀しみが深く、心の傷は癒えることがないのだろう──そう思う気持ちとは裏腹に偏狭で不信心な考えも沸いてくる。
 人通りの多い場所だから目障りだ。公道の私的使用だ。第一、霊魂など存在しないのだし、亡くなった子の魂がいつまでもこの辺にあるはずがないのだから。 

 それでも気の毒に思うし、二年ものあいだよく続けましたねと三人連れに話しかけた。ところが、こちらが涙ぐむ始末なのにどうも話がかみ合わない。やがて彼らは親族ではなく、事故を起こした会社の人々とわかり、私の独り合点は一変する。
 社長なる人物が語るには
 ──うちの運転手がやりましてね……二十五日が命日なので月一度……なに、造花なんですよ。
 これはまた奇特なと、あらためて見れば社長夫妻と息子(あるいは運転手)か。被害者の身内だけでなく、この人たちもまた重い日々を生きている! 私はこうして仮設墓所に詣でる気持ちに頭が下がると同時に、路傍の供花の背後にあるさまざまな哀しみと苦悩に思いを馳せたのだが……。 
e0173081_4155947.jpg


 そもそも私は自我の強い偏屈人間で、宗教や僧侶・神職ぎらいで通してきた不信心モノなのだ。神仏や霊魂の存在など認めないから神社参りもしない。その点、安倍総理とは違うわけだ。お役目柄、菩提寺の住職とは一応のつき合いはするけれど、墓参りに行きながら掃除をした後で手を合わせることを失念して帰ったことが何度もある。 風を愉しむ
 だから「♪♪お墓の下に眠ってなんかいません」という歌が流行ったときは(当然!)とうそぶいたものだが、といっても死者の魂が風になったり星になったりというご都合主義に賛同するわけでもない。だからといってまったく罰当たりの無神論者ではなく、自分なりの神というか信仰心らしきものはある。
 それは小学二年のときに亡くなった父がいつもどこからか見ていてくれるという思いで、父よりもずっと年長になった今日でも変わらない。トシをとるにつれて父が見ていてくれるその場所が、しだいにハッキリしてきた。それは私の頭上の斜め前、時計でいえば二時の方向で、時に応じて数メートルの空間である。長い人生をあまり踏み外しもせずやってこれたのは、父のその眼差しのおかげだと思っている。

 ★皆さま ごぶさたしています。変わりなくご活躍のことと思います。というような次第で、土手を歩きながらまとめた短歌二種をご披露いたします。
 
  路傍には 二年経てなほ 花と菓子 見知らぬ親の 痛哭思ほゆ

  その場所に 二年経てなほ 花菓子あり 轢かれし幼児の 魂は何処
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2014-02-18 04:20 | ▼ 忘れ物など

12年歳末

●未亡人は輝く?
 こんな落語がある。
 ──女の人が一番綺麗に見えるのは、婿はんが死んだときの喪服姿やちゅう。後家はんといぅのはまたそぉいぅ色気があってぇ「後家はんてえぇなぁ、うちのカカアも早よ後家はんにしたい」てな、アホなこと考えるやつがあったりする。
 (色っぽいねえ)と見るのは男の下心ゆえだろう。だがミステリーなどに登場する「喪服の女」に、何やら特別の雰囲気が漂うのも事実である。
 永六輔のおしゃべりの定番ネタにもある。
 ──妻に先立たれた男は、落魄して間もなくあとを追うけれど、反対に、残された女性はそれから元気に輝いていく。平均的には、やもめ男性の余命はせいぜい5年。女性のほうは20年! (正確な引用ではなく主旨です)
e0173081_1052158.jpg
    
●「どちらが先」考
 笑っている場合でない。身近にいろいろなケースを見聞きするトシになると、ふと考える。で、茶飲み話にこんな問いかけをしたとする。
 ──なあ、あんたとオレと、どっちが先がいいかねえ。
 けっこう“究極の難問”だ。うっかり「オレはあとのほうがいい」といえば「おまえ早く死ねよ」と聞こえるかしれない。「オレが先のほうがいい」といえば「あんたとはもううんざりだ」と勘ぐられるかも。はたして妻がどう答えるか、怖ろしいから訊かないが、いずれにしても紛糾しやすい微妙なモンダイにはちがいない。

・妻が先なら……そりゃあ辛いだろう(ホント)し、悔いも残るだろう。だが、子に先立たれる耐え難さほどではなかろう。それに、なんたって夫こそ最良最強の庇護者なんだから、先立つ妻に最後まで手をつくし、子らを煩わせることなくあとの始末までできる。それが役割というもんだろう。
・自分が先なら……妻子にめんどうをかけるのはしのびないが、誰よりも妻に看取ってもらうのはいいことだ。子どもらにとってもこのほうが受け入れやすかろう。いなくなって初めてオレの良さありがたさがわかった妻子が、オレのことを偲び懐かしむさま、喪服姿の妻のようすなど(霊魂となって宙から)見るのもわるくない。
 妻が参加している同人歌誌を覗くたびに、老老介護や亡き夫をしのぶ歌の多さに気づく。ならば早いとこ死んで、女房に秀歌の材料を提供するのも優しさかも。
e0173081_1044389.jpg

●遺産が増えた!
 といいたいところだが、正確には形見分けの遺品が増えたということだ。そもそもこのトシで資産が増えるわけがないし、身辺整理を心がけているから物品も減る一方だ。そんななかでふえた物がいくつかあるので、すでに書いた形見分け品目に加えて記しておく。

・Macパソコン G4Cube
 このパソコンには執着があって、その後40台に増えた。といっても実態はジャンク品に近いものが多い。それでも、加速変化する業界にあってOS9とそれを使える機種としてこの古いパソコンには根強いファンがいる。Mac派でもCubeマニアでもない人には粗大ゴミに等しいだろうが、パソコン史上に残る名機ゆえ一台ずつは持っていてほしい。
・パイプ
 近年“依存症”と自覚するほどのヘビーユーザーであったため、以前に記したパイプの多くを使いつぶしてしまった。それで新たに20本ほど買い集めた。コレクションではなく実用本位なので名品はないが、いずれもまあまあの品物だ。未使用のものが多いから飾り物にでもどうか。
・『山本周五郎全集』
 会社勤めをやめて以来、本を読むのが一番いい時間という暮らしをしてきた。書庫に積んでおいたものはもちろん、図書館の本も読みたいものは読んでしまった。そして今なお座右に置いてくり返し読みたいのが山本周五郎なんだ。登場人物がみな美しく潔い。会ってみたいと思うほど魅力的だから、何遍読んでもいい
気分になれる。
 たまたまオークションで目について、迷わず買ったのが『山本周五郎全集』(30巻/新潮社)。どういう経緯のものか新品で、しみひとつないページをくると至福の時間になる。私はこれを「老後の愉しみ」としてくり返し読むだろうが、わが子の誰かに受けついでもらいたいと願っている。
e0173081_1054157.jpg

●一番の財産 
 ──お父様が守ってくれている。うちには何にもないけど、子供達が多いのが財産だ。
 これは、戦後の困難な時代に8人の子を育ててくれた母の口ぐせのひとつである。わが家は戦後間もなく母子家庭となった。食べ盛りの子どもらを見ては、こうでも思わないと気持が折れてしまっただろう。
 高度経済成長といわれる時期に、健康で働き続けた私は事情がちがう。けれどもその“結果”がさびしいから、ひそかに同じことを考える。
 ──ひとり一億円として……四億だあ。
 当節は一人っ子や二人止まりが多い。そういう家庭では菓子は一人占め、玩具から個室までそれぞれ行き渡る。いずれ親が亡くなれば遺産もそっくり受けつぐだろう。
 一本のバナナを、糸で五つにも六つにも切って分け合う。私はそういう家庭に育ち、何かにつけ“きょうだい”の多さに支えられてきた。今どきには多い四人の子持ちとなったのも、そういう意識が働いたのだろう。
 そんなわけでわが家の場合、遺産相続は四等分となる。どうか「まるごと」でないことを嘆かないでほしい。分かちあう「仲間が三人もいる」と思ってくれたらうれしい。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2012-12-30 10:11 | ▼ 忘れ物など

●11年歳末

 ■大震災をへて
 3月11日、東日本大震災! その衝撃と惨状は万人に多くのことを考えさせ、人生観からライフスタイルにいたるまで問い直しと変換を迫った。半ばジョークのつもりでやってきたこのブログも「襟を正して」見直さねばならぬような気持でいる。

 おびただしい生命と財産が一瞬にして失われ、生きのびた人も肉親・故郷・住居・仕事・健康など生活の基盤となるすべてが危うくなってしまった。当面する生命の危機を脱しても、避難生活が長引くうちに「遺産相続」の問題が生じる。しかし、大津波に根こそぎさらわれてしまった人、家、会社、役所……相続者の死亡、死亡時刻推定の困難、相続財産自体の滅失、書類がない、自己証明できない……想定外のケースが多いうえに案件が膨大、加えて対応する機能が不全。この事態に政府が超法規的臨時措置を講じたのは当然ながら、弁護士・司法書士ら専門家のボランティア活動は時宜を得ていた。

 「せめてお位牌だけでも」と瓦礫の中をさまよう人、泥水にまみれた写真を修復するボランティア、廃墟に生きのびた樹木や花をつけた草花……およそ資産価値のないこれらが、被災者にとってはかけがえのないモノであるという事実。茫然自失、どうしていいかわからない、これからどうやって生きたらいいのか……その心の拠り所を思えば、本当に大切なものは何かを考えさせられる。
 私は『何をたよりに生きようか』(邱永漢著/日本経済新聞社)という本を思い出した。40年も前のその当時、経済評論家は「資産三分法」を勧め、不動産こそ最も頼りになると教えたものだ。それが、津波にさらわれ、水面下に没し、液状化でくずれ……すなはち「不動」ではなかった。
 原発事故への対応策も見えぬうち、5月にウサマ・ビンラディン、10月にはカダフィ大佐、そして先日には金正日が死去した。次元の違う話ではあるが、相次ぐ国家や大企業の破綻などを考えあわせると、富や権力また科学技術のはかなさに無常観を覚える。
e0173081_14245033.jpg

 リタイアして10年、世間とは没交渉の隠遁生活を続けている私が、今年は二度も旅に出た。
 ひとつは仙台行き。被災地の復興支援には役立たないまでも、自分の目で実情を見ておきたかった。震災以来、江戸川沿いの民家にも見られた「屋根にブルーシート」の数は、列車が宇都宮・那須・福島と仙台に近づくにつれて顕著に多くなっていた。仙台の海寄りは土台だけの住宅跡、生々しく残る津波の痕跡、波打つ道路など広域にわたってのっぺらぼう。町そのものが消えてしまった驚きの光景が続いていた。
 もうひとつはイタリアツアーで、主要都市を駆けめぐってきた。円高・ユーロ安はありがたかったが、革製品もガラス器もカメオも買わなかった。そろそろ身辺整理の段階と自覚しているから、いたずらに形見分けの品物をふやすまいと出かける前から決めていたのだ。それはともかく、飛行機でもホテルでも緊張・不安・不眠がないことから、震災以来続いている「恐怖の正体」に気づいた。すなはち、当初の恐怖も余震への過敏さも決して「生命や身の安全」からくるものではなく、恐れたのは「住居へのダメージ」だということ。たとえ家の崩壊や地盤の液状化がなくても、壁や屋根がこわれても大きな出費は避けられず、それは唯一の相続資産である不動産価値の減少になる。命よりも家が大事というのも情けないが、それが率直な心情なのだ。
 しょせんささやかなものであり、そんな親の生き方と気持ちを君たちがどう受け取るかわからない。で、相続アドバイザー「三商レポート」(左記にリンク先)で見つけた次の言葉を贈りたい。これは相続の修羅場を数多く見てきた人ならではの真理だと思うから。
 ──奪い合えば足りなくなるが、分け合えば不便ではあっても足りる──それが「分かち合う心の豊かさ」です。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2011-12-30 14:26 | ▼ 忘れ物など

▼書替思案

 海外ミステリーなどを読むと、遺言書というのは案外こまめ
に書き換えられるものらしい。資産の増減や相続人の死、また
人間関係や愛情など様々な事情の変化に伴って書き直しの必要
が生じるわけで、殺人事件はきまってその微妙なタイミングで
起こることになっている──では、自分の場合はどうか。

 このブログを始めたのは2年前で、最後の投稿からでも1年
経っている。その間、金融資産については減りこそすれ、増え
てはいない。隠居ライフだから当然で、形見分けを考え直すほ
どのモノも加わっていない。またこの間に離婚も再婚もしてい
ないし、子どもが生まれた事実もない。したがって遺言内容を
書き換える必要もないのだが、当節では「毎年正月に遺言書を
書き改める」という有名人やそれを勧める専門家もいる。で、
もう一度内容を見直して、頭がハッキリしているうちに意志に
変更がないことを述べておこうと思った。しかし、それだけで
は一項目が成り立たない。以下は思案の末にひねり出した苦肉
の話材である。
 
 実はただ一つ例外的に増えたものがある。MacG4Cubeがそ
れで、当時の三倍増の31台となっている。10年も前のパソコ
ンをこんなに多数所有すること自体ナンセンスであり、何年か
後にはまとめて粗大ゴミと化すリスクと背中合わせとはわかっ
ている。けれどもこのマシンに惚れ込んでいるから、欲しい気
持ちに際限がない。使っているのは6台だから、あとはみな押
入コレクションとなっているが。
 中には2000円前後で入手した「わけあり」や「ジャンク
品」も多く、どうにもならない不良品をつかんだこともある。
それを「分解・部品取り用」にして、数台を部品交換・調整、
すべて使える状態に再生してあるのが自慢だ。

e0173081_1330768.jpg

 もう一つ思いついたのが終末医療に臨む考え方だ。延命治療
と臓器提供について自分の意志を明らかにしておくことは、現
代遺言事情においては軽視できない要件の一つといえるから。
 尊厳死を……というほど積極的な意味はないが、延命治療は
望まない。ささやかな生涯ながら「お役目」を果たした気分で
いるし、むりに永らえてでもやりたいと思うほどのこともな
い。自分なりに納得しているんだ。
 また、ありがたいことに私は健康に恵まれている。病気らし
い病気をしたことがなく、病院や医者には無縁でやってこられ
た。自慢にはならないが、この10年ほどは健康診断も受けて
いない。食糧難の時代に母子家庭で育ったのに、母の献身と受
け継いだDNAのおかげで健康優良児として表彰されたこともあ
る。1940年産というビンテージ物ではあるが、したがってわ
が臓器が機能はともかく丈夫であることは間違いない──と考
え、他人様に役立つこともなかった人生を振り返れば、せめて
「部品提供で」と思わぬでもない。もしも家族の誰かに必要な
状況が生じたなら、ためらうことなく提供する意志はある。し
かし、率直な気持ちをいえば、私は献体についても希望しな
い。
 では、あとのことはよろしくたのむ。

 ★当ブログを覗いてくださる方に訪問を謝し、更新なしとい
う日頃の無愛想をお詫びいたします。一年間、掲げっぱなしに
してきた画像の枯れ木に、みごとな柿の実が生った(12月初
旬)ので差し替えました。では皆様、よい年をお迎えくださ
い。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2010-12-30 13:34

  ▼白鳥の歌

 うむ、忘れていた。墓がある。たいした墓が、それも二か所に……。とはいえ墓は取得するにも維持するにも多大なコストがかかるのに、売却・譲渡することはできない。税法上、相続資産とは認められない、やっかいな遺産なのだ。
 私は宗教嫌いだから、その行事や寺とのつき合いは煩わしいばかりだった。それでも役回り上、また永年の由緒あるものを自分の代で途絶えさせるわけにもいかないとの思いから最低限のことはやってきた。それを君たちに受け継いでもらわねばならない。

 さてと、視聴率低迷だったこのブログも今回でお終いだ。遺言書などというものは遺産や形見分けにあずかる当事者以外には関心がなく、あるとすれば弁護士や殺人課の刑事くらいということは推理小説を読めばわかるように、訪問者が少ないのも当然。それを幸いに、五ヶ条も書けばすんでしまうことを1年がかりで書いてきた。

e0173081_10302929.jpg

 ああ、せいせいした。十分におしゃべりして、もう言い残したことはない。これでいつお迎えが来ても安心だ。
 それではいよいよ辞世の歌を、と思っても私には作歌の心得がない。だから好きな山上憶良の歌に代弁してもらう。
  しろがね(銀)もくがね(金)も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも(万葉集)

 とまあ、気取ることもないか。20年ほど前の日航機墜落事故。あの極限状況にあって乗客たちが走り書きした言葉には直截で無限の真実が込められていた。それに倣っていえば、私の訣別の辞は簡単だ。
 ──きょうだい仲よく、母さんを大切に。みんな、ごめんね。それから、ありがとう。

 しょうもないブログにおつき合いくださり、ありがとうございました。それでは皆さま、よいお年を──。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-31 10:32 | ▼ 忘れ物など

  ▼欲しいモノなし

 ──よくもまあおやじは、こんなにがらくたを抱えて生きてきたもんだ。
 私の形見の品々を見てそう思うだろうね。自分でも、もっと金目のものがあればと思わないでもない。(有名人だったら使い古しの日用品でも新品以上の値打ちが……)と考えたりもする。けれども、モノはそのモノとしてこそ価値があるのであって、付加された価値なんて嘘っぱちだよ。それがわかっているから「手に触れたものがすべて黄金になる」ミダス王(ギリシャ神話)のようになりたいとも思わない。

 今や私は、多くのモノに囲まれて不便も不足もなく暮らしている。欲望の修羅場を過ぎてみれば、欲しいものなど何もない。むしろ「あれがほしい、これも欲しい」と身をよじるように生きていたころが華で、その過程で手にした品々を見るにつけ当時のつつましやかな欲望が懐かしく思われる。

 ──こんなにも多くのモノに囲まれているオレはなんだろう。ヒトが生きるために本当に大切なものはなんだろう。
 災害や戦火のかげで「きょうのパン、あすの米をどうするか」が唯一最大の問題(母はこういう状況で私たちを育てた)である人々はおいても、世界にはわずかな生活用品しか持たずに生き生きと暮らす人たちが少なくない。家庭環境に恵まれたはずの粗暴犯が相次ぐ一方で、豊かな感性を持つホームレス歌人もいる。

e0173081_957174.jpg
 
 若いころに高峰秀子のエッセイを読んで感銘を受けたことがある。すでに芸能界から引退した時期と思うが「身辺のものを整理してシンプルに生きたい」という話だった。彼女なら衣裳はもとより豪華な記念品や飾り物がさぞやたくさんあるだろう、なんと潔い精神なんだろうと。
 先日の新聞に、オードリー・ヘプバーンの遺品がオークションにかけられるという記事があった。そのうち“未着用のウェディングドレス”は「こんな服を買えそうにない人にあげて、着てもらいたい。きれいで貧しい女性をさがして」と託されたものだという。
 ともに、成功者の鷹揚というよりも心ばえ(人柄・心の姿勢)の美しさを感じさせる話だ。

 開け放たれた、何もない部屋を風が吹き抜けていく。それを柱にもたれて眺めている──私は青年期に思い描いたそんな“禄を離れた武家の暮らし”にひそかなあこがれを抱いている。そして、わが“モノ持ち”ぶりに内心忸怩たる思いでいるんだ。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-29 09:59 | ▼ 忘れ物など

  ▼ひもじい話

 何が欲しいといっても子どものころは食べ物で、その原風景は“おやつ”だった。三度の食事もままならず、弁当を持てなくて昼休みに家まで食べに帰る子も多かったひもじい時代のことだ。

 当然に、間食が用意されることはめったになかった。だから遊んでいるときに柿やグミなど食べられるものがあれば何でもごちそうだった。兄弟げんかもよくしたが、食べ物だけはわずかなものでも分け合うようにしつけられた。一本のバナナを糸で切って兄弟5人で食べたこと、うどん粉を練って焼いただけのものを遊び友達に分けてもらったこと、農家の子のおやつのさつまいもや餅(本物)がすごく豪勢に見えたこと……そんな記憶がとめどなくよみがえる。

 家に帰れば「なんかない?」と母親のところに行くのは今も同じだろうが、当時はその何かがどこにもなく、昼飯を食べそこねた母が釜を洗いながら底にこびりついた飯粒をすすっていたりするのだった。

e0173081_9415478.jpg

 少年雑誌にあった「リンゴえん罪事件」の話をよく覚えている。教育的な配慮から弁当以外のものを持っていってはいけないという遠足で、ある少年の包みからリンゴがひとつ転がり出る。決まりとは知らぬ母親が心づくしでひそませたそのリンゴゆえに、少年はみんなから糾弾されるという切ない話だった。(鳩山母子間の12億円授受が連想されるが、こういうのを「似て非なる」という)

 高校生になったころに見た外国映画で、飽食した貴族が口に指をつっこんで吐き出してまたごちそうを食べるシーン、ジャン・ギャバンがバターをパンと同じくらいに分厚くのせて食べるシーンなどは、マーガリンをうすく塗って食べる目には衝撃的だった。
 グルメを軽蔑する粗(素朴)食好き、やたら「おいしい!」を連発するテレビ嫌い、庭にビワや柿など実のなる木を植える好みなど、私の偏屈の淵源はこのような食物体験にあるように思う。食欲は第一の本能であり文化である。そして味覚は人さまざまだけれど、いかに“食”と向き合うかで人柄が知れると私は思っている。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-27 09:43 | ▼ 忘れ物など

  欲しい……

 この一年、いいブログネタはないかと、つくづく身辺を見回してきた。そうして抽出の奥をのぞき収納部屋に入り込んで、探し物をする私の脳裡に聞こえてくる唄があった。
 ♪♪勝ってうれしい花いちもんめ……あの子がほしい……この子が欲しい(『花いちもんめ』)
 振りかえれば、あれがほしいこれが欲しい「買ってうれしい」の連続。かなわなかった欲求をひとつずつ実現して、気がつけばおびただしいモノに囲まれている。わが“欲しいもの遍歴”を告白しておこう。

 小学生の時はグローブと自転車だった。紙製のグローブが雑誌の付録になったり、貸し自転車が主流の時代だから、私はどちらも買ってもらえなかった。配給(?)の運動靴を誰が買えるか、クラスじゅうでじゃんけんしたことも思い出す。
 中学生ではまず白くてかっこいいトレーパンだった。つぎが腕時計と放送室にあるような録音機で、これは卒業後に自分で稼いだカネで手に入れた。普及型の赤井テープレコーダーがそれで、自慢の持ち物となった。 
 それから欲しくなったのは“自分の部屋”とステレオだった。大学生の時は筑摩の「日本文学全集」が欲しかった。もちろん「あの娘がほしい、この娘もほしい」という痛切な願望もあったが、それはまた別の話だ。

e0173081_9124285.jpg

 所帯を持ってからはひたすらマイホームで、それは子どもの成長にともなって切実になった。自分の欲しいモノはわが子に買い与えたいモノの陰にひそめるようになった。そして君たちが成長した現在、欲しかったものは曲がりなりにも手に入れて私はがらくたに埋もれて暮らしている。今や、これといって欲しいものは何もない。

 全財産をはたいてもかなえたい望みはあるか──と問われたアメリカの老富豪は、『ハックルベリー・フィンの冒険』をまだ読んでいない状態に戻してほしい、と答えたという。この気持、わかる。全財産などと太っ腹なことはいえないが、私なら山本周五郎未読の白紙状態に戻って、新潮社の全集32巻を前に積み上げたいなあ。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-25 09:17 | ▼ 忘れ物など

  ▼庭の樹木

 遺産とも形見の品ともちがうが、私が君たちに継承してほしいとひそかに願っているのは庭の草木だ。
 記憶にあるだろうが、区画整理完了後(88年)に取得したこの敷地は一本の木もない更地だった。それが今、建物のまわりに多くの植物が密生してちょっとした雑木林みたいになっている。ということは、この荒れ庭の一木一草はすべて私が植えたものということだ(もっとも、その後に小鳥が育てた樹木もあるが)。

 当然、どれにも来歴があり愛着もある。
 買ったのはハナミズキ、サクランボ、ブルーベリー(農協)とノウゼンカズラ(タキイ)くらいだから、値打ち物の銘木はない。大半は崖の家にあったもので、区画整理事業で消える山地に自生していた雑木も多い。数本あるビワは幼い君たちと「いっぱいなるといいね」とまいた種から育ったもの。またカキ(江戸一)、キンモクセイ、五葉松はいなかのおばあちゃんから、ボケ(東洋錦)の古木は小平のおじさんからもらったものだ。
 この松は正式には那須五葉という高級種だ。枝ぶりがよく葉がつんでいるから、樹高40センチほどなのに古木の風格がある。那須山の上にある古い民家風の休憩センターは新潟の小千谷から移築したもので、ここにりっぱな松がある。昔、おばあちゃんがそのタネを十粒ほどもらって自宅にまいた。三本の苗ができて、一番よく育ったのがこれだ。

e0173081_1218232.jpg
 
 いずれも曳き屋・仮住まいの数年間に転々として、ようやく落ちついた現在地で大樹に育ったわけだ。大量の石とともに一輪車で運搬・移植した苦労は忘れられないよ。
 
 草花や野草の多くには、どちらかというと母さんの思い出が詰まっている。いなかから持ってきたり、知人と交換したり、こつこつと集めたものだからね。オーストラリアから送ってくれた花もあるし、お茶の木は……伝えておきたいことがきりがないくらいある。

 手入れもせず雑然とした庭だが、これは夫婦の歴史でもあり二人ともこの緑にずいぶんといやされてきたものだ。そしてまた野鳥の楽園ともなっている。若い君たちは一顧もしないけれど、いつか植物に目がいくようになるだろう。そのときにこれらの樹木とそれにまつわる話を伝えられたらいいなあと願っている。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-18 12:19 | ▼ 忘れ物など

  ●アルバム

 居間の本箱の最下段を占めている大判のアルバム。これは遺品や形見というよりもいずれ君たちへの贈り物とするべく保存しておいた私たち夫婦の宝物だ。
 個人のアルバムなどは他人様にはなんの値打ちもなく、現在の君たちにとってもあまり意味のあるものではなかろう。しかし、地震や火災など「いざ!」というとき、何にも優先して持ち出したいものがこれで、かけがえないものなのだ。

 私はもともとカメラには興味がなく、むしろ嫌いな道具に近かったから撮影技術もお粗末なものだ。それでもわが子の成長を記録しておくのは親の務めと思ったから、けっこうがんばった。 

 最初は「バカちょんカメラ」と呼ばれたオリンパスペンで、ほとんどこれで撮ったものばかりだ。もちろん8ミリビデオなんて扱わないから、折々の記念になる申しわけていどのスナップ写真にすぎない。各人数冊ずつ、それぞれが外部で写真に収まるようになるまでの成長過程が年代を追って保存してある。

e0173081_10275874.jpg

 それでちょっと困るのは、長男の充実ぶりが末っ子に行くにつれて尻すぼみになっていることだ。これはどこのお宅にもある傾向らしいが、決して「最初はもの珍しいから」とか“愛情の量”とかには関係ない。次第に公私ともせわしくなっていく暮らしの反映と考えてもらいたい。

 今でこそ私もデジタルカメラを使っているが、なにしろこれはそれ以前の作業なのだから見かけよりも歳月が詰まっている。現在の君たちほどに若かった母さんの美貌はもちろん、そのときどきのわが家の情景やネコが写っていたりする。それに将来、君たちがえらくなれば「幼少時の写真」として貴重なものになる可能性もあるのだから、しっかり譲り受けてほしい。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-11 10:29 | ● 書籍・CD

  ■ワイン

 本来が嗜好・消耗品である酒も、時と場合によっては資産となる。たとえば禁酒法の時代や物資不足の戦時中、それは法外な価値を持つ必需品となって利益をもたらした。映画などで見てもビンテージもののストックは一財産扱いされている。してみると、酒も不動産・有価証券・貴金属・美術骨董と並んで資産たる資格を持つのだろう。

 であれば、私にもほかにささやかな資産、少なくとも形見分けになりそうな品がまだある。数本のワインとブランデーなどだ。
 特筆したいのはドイツの白ワイン「ラインガウ」について。81年秋のツアーでライン下りをした折、船で飲んだ芳醇な白ワインはすごく美味かった。で、みやげにとリューデスハイムの“ワイン横町”に出かけたのだが、なにしろ知識がない。で、ガイドが絶対おすすめという72年産を「一生に一度の買い物」と奮発したのがこれだ。
 持ち帰り枠が2本しかないのに、たかがワインに一流ブランドウィスキーほどのカネを支払い、その重いやつを持ち歩いてと同行者に笑われたっけ。
 そんな経緯があるので、このワインは大切に温存して「特別にいいこと」があったら開けるつもりでいた。ところがそんなこともなく、今日に至ってしまった。保存状態がいいわけではないのでどうかなとひそかに案じているが、これの由来については知っておいてもらいたい。

e0173081_10392515.jpg

 ワインはほかに92年もののドイツ白、96年のカリフォルニア赤、オーストラリア産などがある。近年は銘柄ワインが格安に手にはいるし、家では開ける機会も少ないので、後生大事に持ってきた結果がこれらのワインというわけだ。

 ほかに上等のウィスキーやコニャックもあるが、いずれもノータックス品だし、近ごろでは安売り店などでめずらしくもないからさっさと飲んでしまったらいい。その点、ワインはちょっとちがうんだ。私は下戸のくせに“ワインは文化”だと考え、他のアルコール類とはことなるこだわりがある。だから結婚式やパーティなどで上等のやつが出てくると、意地汚くついすごしてしまうんだ。
 そんなわけで、私が開けることなく君たちの手に渡ったならば、「ラインガウ」は特別のときに飲んでもらいたい。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-12-04 10:40 | ■ 相続遺産

  ★双眼鏡

 双眼鏡がふたつある。どちらもけっこう使い込んで愛着があるが、近年は押入の奥にしまいこんでほとんど出番がない代物だ。

 SPARKLEは吉祥寺のディスカウント店伊勢屋で買ったものだから、十代の終わりころの買い物だ。当時の吉祥寺は実に魅力にとんだ街で、井の頭公園から三鷹界隈まで私は自転車でよく徘徊した。この店もスバル座もとっくになくなったが、いちばん好きで懐かしい街でもある。
 LO-MAX の入手は会社勤めになってからだから、新橋駅下の道具屋だったと思う。こちらはワイド&ズームだから威力がある。
 ほかにオペラグラスもいくつか持っていた時期がある。(なんで双眼鏡なんて)と自分でも思うほどつき合いは古い。カメラに興味がなかったからその裏返し心理か、この道具にはけっこう執着したものだ。

e0173081_10214596.jpg

 ヒチコックの『裏窓』のポスターに双眼鏡がアップになっていて、そういう“のぞき見”好奇心があったかしれない。戦争映画などで誇張されるレンズを通した拡大画面にそそられた気もする。だが実用としてはあまり役立たなかったな。
 以前には競馬場ではなじみ深い道具だったものだが、場内テレビや大型ビジョンの普及によって無用の長物化した。旅行にはカメラより双眼鏡という時期があったが、重くてかさばるので縁遠くなった。土手歩きの野鳥観察に使ったこともある。ただし、倍率が高い双眼鏡ですばしこい小鳥の動きを捉えるのは案外むずかしいものでね。ほかには星座や月食観測くらいだから、思ったほどには使いこなせなかった道具というべきだろう。 

 などと、つらつら双眼鏡遍歴を考えていてハッキリしたことがある。めがね! 
 私は、若いころに眼鏡をかけることになった事実を“一生の不覚”とさえ思っている。できることならば、人生をその前からやり直したい──それほど、眼鏡の着用により日常行動に受けた影響は大きい。私が双眼鏡に縁遠くなった最大の理由は「眼鏡をかけて双眼鏡を覗く図」に嫌悪を感じたからなんだ。健康や長寿に直接の関係はないと考え勝ちだが、目は大切にしてほしい。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-11-27 10:23 | ★ 抽出しの底

  ★ウォークマン

 「ウォークマン」が発売から30年を迎えたという新聞記事で、使わなくなったカセットテープレコーダーがいくつもあることを思い出した。近ごろは外出しないから使用する機会も必要もないが、以前は私もこれをポケットに入れて音楽や英会話テープを聴いた時期もあるわけだ。

 ソニーから「ウォークマン」が発売されたのは1979(昭和54)年。その爆発的なヒットは企業業績の伸張と他社から無数の追随商品を生み、世界に広がって“ウォークマン文化”は社会現象といえるほどになった。外にいても音楽が聴けるというのは画期的なうえ、小型で音質がいいのだからそれも当然だった。しかし当初はけっこう高価で、私が手にしたのは何年か後になってからだ。

e0173081_917468.jpg
 
 ソニーの「武道館」は重低音を強化した再生専用機で、そこが気に入って買った。愛用したけれど、普通のものよりも重量があるのが難だった。 
 アイワのはオートリバースの再生機で、これもモノはいい。一流ブランドではないがオーディオ技術にすぐれ、私はビデオのフナイと同じように高く評価している。
 東芝の「Walky」は録音・再生・ラジオなどフル機能装備のもの。
 ほかにも君たちが置いていったものがいくつかあるが、捨てがたいので保存している。でも今や主流はi-Podだからね。おしゃれで、チップにたくさんの曲を収めて持ち運びできるあの高機能にくらべたら、いかにもウォークマンはでかくて重い。世界中がi-Podにとってかわりつつあるのも当然だろう。
 それはそうと、私は電車内などの人中で耳からイヤホンをぶら下げているざまがきらいでね、そうまでする必然性がなくなってからはますますウォークマンに縁遠くなった。

 ついでに言っておくと、オリンパスのマイクロカセットレコーダーがある。これは録音本位で、仕事やちょっとした記録のために使っていた。また、カシオのマイクロテレビは会社の記念品にもらったもの。当初はめずらしかったが、実用的ではないので抽出しの肥やしになった。このように電気製品の進歩と陳腐化は激しいから、将来とも必要性がないと思えば処分したらいい。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-11-20 09:20 | ★ 抽出しの底

  ◎帽子

 おやじの形見分けの定番アイテムのひとつは帽子だろう。昔のおやじたちのイメージには中折れソフト、カンカン帽、ハンチングなどの帽子が付き物のようにさえ思える。けれども私には縁がなく、これといった帽子を持っていない。
 
 私は中学生のときまでは超まじめ人間だった。校則を破ることなど絶対になく、銭湯に行くにも制帽をかぶっていったのよと、今でも姉たちが笑うほどだった。ところがその後の紆余曲折のうちに正反対、すっかり帽子ぎらいになってしまった。
 ユニホームを持たないのだから野球帽をかぶったことがない。ハイキング用のチロリアンハットはすぐに紛失した。角帽も持ったことがない。ああ、一度だけベレー帽をかぶったことがある。すごく落ち込んだ日で、兄のを借用して新宿に出て武蔵野館で『復讐の谷』という西部劇を観たっけ。

 死体の傍にあるべきシルクハットがないという事実が、犯罪捜査のかぎになる推理小説(E・クイーン『ローマ帽子の謎』)があってね、外国の文化における帽子の意味合いがよくわかる。けれども実用性ならともかく、権威の象徴やファッションとなると受け入れがたい。麦わら帽子などは好なのに、ダービーハットや制帽など地位・身分を誇示、あるいは規制するようなものには反発を感じる。古今東西を問わず、ヒトはこの「頭にのせる非実用的なもの」にさまざまな意味を持たせたが、私は無帽こそフリーであることの表明だと考えている。


e0173081_1011175.jpge0173081_10114220.jpg


  だから私の帽子は、ウォーキングで日射しや雨を防ぐための二つしかない。いずれもオーストラリアみやげのつば広帽子だ。  
 ひとつは環境団体らしいネームがついたやつ。何度も洗ったが丈夫な布製だからけっこう役に立つ。もう一つは西部男のテンガロンハット風のもの。こちらは皮革製だからバケツ代わりに水汲みもできるしろものだ。つまり私は何によらず形式的なことや装飾物がきらいでね、その代表のような帽子には拒否反応があるんだ。王冠ならともかくね。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-11-13 10:17 | ◎ 身辺愛用品

  ●英語辞書

 英語の辞書も何冊かあるが、国語関係(辞書辞典)にくらべるといかにも手薄で“形見分け”にできるようなものがないことに気づく。で、しみじみ見直し、つらつら考えた。

 『グローバル英和辞典』(三省堂)、『新ポケット英和辞典』(研究社)、『サンライズ和英辞典』(旺文社)……奥付の日付が比較的新しいし、ついている付箋や書き込みから君たちの誰かが置いていったものだろう。私自身のやつは、三省堂の古い『コンサイス英和辞典』一冊だけだ。考えてみれば、ほかに自分で買った覚えがない。

e0173081_10181452.jpg

 これは昭和28(1953)年1月発行だから骨董品に近い。この年の3月、卒業生総代で頂戴した特別のものだ。当時は卒業式で先輩が授与される「ようかんのような包み」が何だかわからずにいたが、いざ自分がもらってみたらこれだった。参考書どころか教科書も買いそろえるのが大変な時代で、これをいただいたのは(うちが母子家庭だったからかも)と後に思うこともあった。当時の世田谷区長の名前入り。多分、校門の向かい側にあった「京王書房」から購入したものだろう。
 皮表紙が布のようにほころび、ページもささくれだってしまって開きにくい。赤鉛筆の跡を見るとけっこう勉強したように見えるが、その中には現在覚えていない単語も多い。私は父みたいにこのインディアンペーパーを破いて巻きたばこにするなどという芸当はしないが、いささか苦い記憶がよみがえる。

 「いまわの際に」こんなことを語るのは、その後の長い人生で晴れがましいことがなかった私が、君たちに自慢できる唯一の証拠品だからでもある。けれどもむしろ、これ一冊でやってきたオノレのつましさと不勉強ぶりに愕然としている。『ウェブスター』とか大辞典とはいわないまでも、せめて中辞典くらいは持つ、またそれを必要とするような生き方をすべきだったと脂汗がにじむような気がしているんだ。私が生きたのはそういう時代であり、君たちの場合はなおさらだろう。Conciseにとどまらない人生をと願っている。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-11-06 10:22 | ● 書籍・CD

  ★フラスク

 懐中ウィスキー入れのフラスクが1個ある。映画や小説などでしばしばお目にかかる小物でなんとなくワイルドな趣があり、曲線を持つスリムな形なのでポケットに入れても違和感なくなじむ。
 これは92年のアメリカ西海岸ツアーの折りにサンフランシスコで買った。そもそも下戸の私はこんな品物があることも知らなかったのだが、同行した男がぜひ買いたいと意気込んでいたのにつきあった。見ると単なる金属製のウィスキー入れにすぎないのに、5000円くらいしてしかもいろいろな種類がある。

 日本では酒の携帯容器といえば、古くからヒョウタンなどをくり抜いた瓢(ひさご=ふくべ)が普及していた。今日のようにどこにでもコンビニストアがあり、多様な材質のさまざまな容器が出まわっている時代にはこれがなくても少しも困ることはない。けれども
紳士貴顕からジーンズの青年までが愛用したフラスクにはえもいわれぬ雰囲気があり、何となくアメリカ文化の一端を見るような気がして、つられて買い求めたわけだ。

e0173081_9525793.jpg

 ふつうなら、ちょっと携帯したいときにはポケットびんになるが、それでは私には量が多すぎるしもうひとつムードに欠ける。その点これは割れたり漏れ出す心配もないし、ハンディで手応えがなかなかいい。で、小旅行のときにしのばせて使ったことがある。持っているだけ、眺めているだけで、どこかに出かけてみたくなる品物だ。

 あらためて見てみたところ、ステンレススチールとしか書いてないからブランド品ではない。インターネットで見ると好事家向きの高級品や装飾的な品物が多いが、私はむしろ
シンプルなデザインが気に入っている。
 電気製品などの精密機器と違って耐久性の高い品物だから、古くても問題はない。試しに使ってみないか。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-10-30 09:54 | ★ 抽出しの底

  ◎バーベル/ダンベル

 形見分けとしては異色の物品だが、小屋にあるバーベルとダンベルの処分についても兄弟で考えてもらいたい。ゴミの収集事情が窮屈になって以来、今やこれは粗大ゴミとして扱えないばかりか、よく来る不要品回収業者も持てあます無用の長(重)物だからね。

 しかしながらこれは私にとっては思い入れのあるモノなんだ。
 若いときから腕力自慢だったから、生家の庭で手製のバーベルを差し上げたりしていた。それは角材の両端にコンクリートで固めたブロックをつけたごついやつで、30キロもないのに扱いにくいしろものだった。

e0173081_109250.jpg

 今あるバーベルはフルセットで50キロのもの。これを会社の帰りに神保町角のディスカウントストアで買って、電車で持ち帰ったんだ。よくそんなことをしたものだと自分でもあきれるが、当時は安直な宅配便などなかったし、業者を使えばずいぶん高い買い物になったろうからね。

 スポーツクラブでもベンチプレスには課題を持って取り組んだから、退職にともなってやめた2002年に240ポンド(109キロ)を1セット(13回)クリアした。61歳で出したこれが私のベスト記録だ。
 
 ダンベルは10キロのやつが1対ある。これは得手でないのであまりやらず、五十肩治療の振り子運動に使ったりした。日常にやる気軽なトレーニングにはこちらのほうが用途は広い。

 さてこの重々しい“形見分け”だが、兄にはバーベル、弟にはダンベルが適当だと思う。なお、バーベルは無造作に扱うと腰を痛めやすいので要注意。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-10-23 10:10 | ◎ 身辺愛用品

  ■骨董

 大きめの壺がふたつある。私にはこういう趣味も見る目もないが、いずれもいただきもので、どちらも気に入っている。
 
益子の中壺は「白釉」といって、作者は福田某(読めない)とある。微妙な色合いと肌触りに味わいがあり、素人なりに上等な感じがする。
 茶色の大壺のほうは、底の貼り紙の文字がかすれてよくわからない。「1982 小山」とだけ読める。この渋い風合いと紋様もなかなかのものだ。ムラサキシキブ、マユミ、ボケ、ススキなどの野趣あふれる大枝を放りこんでも位負けしない風格がある。
 以前にはよく子猫が出たり入ったりしていたから、子猫のお気に入りでもある。

e0173081_15401298.jpg

 永年、居間の本箱に鎮座している陶器の花はボーンチャイナ。「AYNSLEY ENGLAND FINE BONE CHINA」とあるから本物だ。これは30年ほど前、初めての海外旅行の際にロンドンで買った。
 なにしろ初めての外国だし、買い物の知識も予算もないからガイドブックが頼りで、バーバリーのコートと迷った末にこちらを選んだ。それくらい高価だったと記憶しているが、それよりもぎゅうぎゅう詰めのスーツケースにこのデリケートでこわれやすい品物を収めて各地に移動した苦労が忘れられない。モスクワのレコード盤といい、フィンランドの燭立てといい、つくづく買い物の段取りがヘタだったと思うよ。

e0173081_16584025.jpg

 わが家には不似合いなくらい豪勢な端渓硯がひとつある。弟夫人の父親がこの関係の仕事をしていて、われわれ兄弟にそれぞれいただいた。ただし本家中国産ではなく韓国産のよし。いずれにしてもりっぱすぎるし、私は筆を持たないから使ったことはなく、床の間の飾りにしている。

 以上の“お宝”は、そんなわけで盗品でも略奪品でもなく、またカネにあかせて買い集めたものでもない。値打ちがわからないが、これも「なんでも鑑定団」に出したらひょっとして──。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-10-16 15:42 | ■ 相続遺産

  ●古い本

 小屋にある古い書物の中でも、とびきり古いのが2冊ある。これは散逸してしまった父の蔵書のうち、辞書とともにわずかに生き残ったものだ。
 というのは、昔の写真に写っていてかすかに記憶もある漱石全集などは売られてしまったと推測するし、また学生時代に私自身がカラフルな「歴史絵図」や和本の「江戸職人づくし」などを古本屋に売った覚えがあるからだ。バカなことをしたものだと思う。すなわちこの2冊は目利きの古本屋がパスしたために「かろうじて生き残った」本なのだ。

e0173081_10572542.jpg

 『日本地理大系/関東篇』(昭和5年・改造社)は全ページがアート紙使用で、写真や図版がふんだんに入っている。執筆・解説陣にそうそうたる名前を連ねた、当時としてはりっぱな書物だ。
 この種の出版物はデータの陳腐化に耐えられないから、10年もたつと廃物同然となる(小屋にある多くのビジネス書・ハウツー書も同様)。ところが、80年も経ると別の価値が生ずるから面白い。たとえば──
 口絵の地図を見ると「朝鮮、台湾、樺太」などが日本の版図となっている。東京は“府”(1943年=昭和18年に都になった)だ。当然に横書き文章は右から左で、これは私でさえかなり読みづらい。それでも知っている土地についてじっくり眺めてみると、昔の写真と記事には興味深い発見がたくさんあるはずだ。

e0173081_1058113.jpg

 『明治文化版画大鑑/明治開化篇』(昭和7年・豊文館書房・定価五円)は大判のカラー版画集だ。珍しいだけでなく今では貴重な明治の風俗が集録されており、これも興味津々だ。保存状態が悪いから古書としての値打ちはないだろうが、約50枚の版画は人によっては相当の価値を認めると思う。

 身辺に絵本や雑誌などない時代、写真と絵の多いこの2冊は楽しい本でもあったから、私は幼いころに見たこの画像をよく覚えている。そして今この本を開くと、まさに「昭和も遠くなりにけり」という感慨がある。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-10-09 11:00 | ● 書籍・CD

  ★将棋盤

 将棋盤と駒が二セットある。将棋もまた私の人生で除けることのできない趣味で、その思い出の品というわけだ。

 子どものころ、ボール紙のセットで次兄に教わったのが始まりだった。学生時代には下北沢の二上道場や渋谷の高柳道場によく通った。会社では上役が好敵手で、数え切れないほど対局した。これがなかったら会社勤めを挫折していただろうと思うほど、この趣味は軽くはない意味をもっていたんだ。

 桂の5寸盤は平和台のときに、近くのディスカウント屋で買ったもの。2万円くらいと安かったが、木目がよくないので気に入らなかった。3寸盤のほうは母からもらったものだ。りっぱな駒が一緒だから、東北旅行の際に天童で買ったのだと思う。

e0173081_1031021.jpg

 私はモーレツ社員ではなかったが、面倒見のいい家庭的な父親ともいえなかった。君たちと将棋を指したのもかすかな記憶しかない。もしも親身に相手をしていたなら、今を時めく羽生や森内のようになる可能性もあったかと、ひそかに悔やんでいる。野球やサッカーについても同様で、今でも親子でキャッチボールをしたいと思うことがあるよ。
 けれども今や、将棋は私が強すぎるしスポーツでは君たちの相手はムリだろう。日々に追われて、かけがえのない時間を失ってしまったと思っている。

 現在ではもっぱらパソコン将棋を楽しんでいて、パソコンにはおびただしい量の棋譜が残っている。ヒトの喜怒哀楽は態度や表情また脳波の検査などでもおよそわかるが、頭の中は見えない。その点“遊びの跡”に過ぎない棋譜は思考と心理を如実に物語るから、もしも君たちに三段の力があれば、引退後の無りょうの日々の、私の娯楽と思考が伝わるのだが……。
 それはともかく、この盤も駒も久しく使っていない。本物の木材を使った用具の価値は下がることはないので、一つずつ持っていてもいいと思うのだが。
[PR]
# by dotenoueno-okura | 2009-10-02 10:33 | ★ 抽出しの底